2016年8月6日土曜日

最近のラップがいいかんじ。

ラップが最近流行っているらしい。たしかにテレビのCMでもラップが多い。息子からも話を聞いていたのだけれど,若者の間でフリースタイルラップを中心に盛り上がっているとのこと。ということなので,流行りのそれを少し聞いてみた。そして,おぉ,これが現代のラップなのかと感心した。

私のラップに対するイメージは,RUN DMCのWalk This Way,いやもっというと佐野元春のコンプリケーションシェイクダウンくらいのものだから,ずいぶんと時代の隔たりを感じた。しかし,現代のラップを聞いていると流行る理由が少しわかるような気がしてきた。それをちょっと書いてみる。

一昔前のヒット曲が私はあまり好きではなかった。どこが嫌いって,とにかく歌詞が陳腐。永遠,世界,愛,涙,夢といったワードを並べているだけで,なんの共感も湧いてこない。特に「作詞家」というプロではなく,バンドやシンガーソングライターの作品がひどかった。安易にそういった言葉に頼った歌詞で,聴いていると腹が立ってくるほどだった(誰の作品とはいわない)。

しかし,現代のラップは少し違うようだ。自分たちの言葉で,自分たちの感情を,自由に表現している。「愛」とか「永遠」とか遠くにある理想を建前で語るのではなく,身近な題材・メッセージを平易な言葉で伝えようとしている。だからこそ私たちも素直に耳を傾けることができるのだ。

もう「愛」だの「夢」だのといった言葉はマヤカシのようにしか聞こえない。本当はあるのだと信じてはいるのだけど簡単には手に入らないとあきらめている。安易に口にすると逆にウソにしか聞こえない。そんな風になってしまったのが現代なのだ。だから陳腐な表現を排したラップが今若い人たちに流行っているのも当たり前のような気がする。



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桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 について話していたので、そうい...