2015年11月9日月曜日

「飽きる」って素晴らしい

今朝,腕時計をつけようとして,いままでしばらくの間つけていたアナログ時計ではなくて,デジタル時計を選んだ.いつのまにかそのアナログ時計に飽きてしまったようだ.昨日まであれだけ好んでつけていたというのに.

その時計に「飽きた」とははっきり意識したわけではないけれど,感知できない心の深いところでその時計への「飽き」は発生し,それが表層上の判断に影響を及ぼしていた.そのことに気づいて,私はこの人がもつ仕組みが素晴らしいと思った.

どうも人間というのは飽きるようにできているようで,何に対してもそれを繰り返していると「飽き」が発生し,それがその人の行動を変えていく.それは新しいことへの挑戦となって,結果,人は変わっていく.「飽きる」という感情は,思いの外,人間の成長に不可欠なのだと気づいた.

なのに,どうして私は同じ失敗を繰り返してしまうのだろう.もうその失敗には飽き飽きしているというのに.

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(3)~刀剣乱舞~

 以前、京都の名刹「大覚寺」を訪れたときに、玄関に男の子のポップが立っていて大変に驚いた。だって、「大覚寺」みたいに格式の高い寺社にアニメのポップが立っているなんて!ご朱印帳も以下のとおりである。 御朱印帳も膝丸エデション 「霊場」という言葉に不似合いな感じもするけれど... で...