2014年7月17日木曜日

風邪はひいても薬は飲まない

今年は年初早々,ひどい風邪をひいて声が出なくなり,仕事の遅滞を引き起こして各方面にいろいろとご迷惑をかけてしまったのだけれど,それからも何度か風邪をひくことを繰り返し,先週月曜日からもまたまた新たに風邪をひいてしまって,火曜日はとうとう職場を休んでしまった.どうも今年になって風邪をひいたときのダメージが大きくなっている気がする.日頃の体力の蓄えが無くなっているということなのかなと思う.

今回も風邪をひくにあたって,保健管理センターで阪大病院の先生に診察を受けたのだけれど,喉の痛み止めのトローチと念のための熱冷ましをもらっただけで,通常の風邪薬はもらえなかった.先生の話によれば,「これはウィルス性の感冒,いわゆる風邪で,寝て治すしかない病気ですね」ということで,余程症状がひどくなければ,薬は処方しないということらしい.

実は昨年も保健管理センターの先生の診察の際に,同様のことを言われていて(先生はちがうんだけど),印象深く覚えている.それらの要点をまとめると次の通り.


  • 風邪は薬を飲んで治すものではない
  • 早く風邪を治したいならば,薬を飲まずに身体を休めた方がいい
  • 薬はあくまでも症状の緩和が目的であって,風邪を治すものではない.薬を飲んで症状を抑制したほうが治りが遅いというデータも学会や論文で報告されている
  • そもそも風邪で医者にかかるのは日本人くらいで,アメリカでは医療費が高いから風邪では病院に行かないし,イギリスではかかりつけ医のシステムがあるけれど感冒は除外されている.
  • 結局身体を休めること,生姜湯などを飲んで身体を暖めること,そして早く寝ることが大切
  • 風邪の予防には紅茶がいいという報告がある
ということだそうで,そのときも,薬はくれたけれど飲まなくていいならば飲まない方がいい,と言われた.風邪についてはいろいろと同様な情報を本やネットで目にしているけれど,医者に面と向かって言われると,やはりそうなのだと納得してしまう(もちろん,症状がひどい場合には飲んだほうがいいとも言われたけれど).

野口整体という民間療法があるけれど,そこでは風邪は病気として捉えられてはいなくて,治すものではなく,経過するものという風に考えられている.つまり,風邪は自分の身体の歪みや疲労を自分で治すために経過すべき,自己調整作用なのだということらしい(健康法のひとつ?). 

まぁ,そういうこともあるのかな,という感じなのだけれど,もしそうだとしたら今年に入って私の身体は大きく歪み,疲労が蓄積しまくっているということになる.風邪をひかなくて済むように日頃の生活を改めろ,と身体が言っているのだろう.







2014年7月3日木曜日

靴のカカトはつぶしてはかない

カール・ゴッチは,レスリングシューズの靴紐を締めるのに20分をかけたという.

先日,息子の靴の履き方を見てため息をついた.彼は,カカトを潰し気味に靴の中に足を突っ込み,その後ゴニョゴニョと足首を動かしてようやくカカトまでが靴に収まるやいなや,扉を開けて「いってきます」と出て行った.あれでは靴と足の一体感など無いに違いない.

私の中学時代,毎日全国で校内暴力のニュースが流れていて,私の通っていた中学校も例外でなく荒れていた.学校のあちらこちらでシンナーを吸った跡が見つかるし,水道の蛇口はみな外されていたし,トイレの鏡はなく個室のドアはみな壊されていた.不良の服装も男子は短ラン,女子は長いスカートという格好で,靴はカカトをペッタンコに踏み潰して履いていた.そんな感じだったから不良でなくとも,靴はカカトを踏みつぶして履くのが流行っていた.というより普通だった.

なぜかあの頃,通学用にキャンバス地の白いデッキシューズがとても流行っていて,私もそれを履いていたのだけれど(私はトップサイダーに憧れていたけれど,残念ながら月星の安いものを履いていた),靴を長持ちさせようと思って,カカトは潰さずに履くようにしていた.一方,不良と呼ばれる人たちはデッキシューズではなくなぜか靴底が薄いものを好んでいて,本当に底が薄い体育館履きのような靴を履き,歩くときは,ペッタン,ペッタンと音を立てていたものである.

高校に入っても,私の通学靴は白いデッキシューズか,コンバースのローカットのバスケットシューズという感じだったけれど,やはりカカトは潰さなかった.この頃になると空手道部で燃えていたので,そんなブカブカの靴の履き方なんて武道を稽古するものとして許せなかったからである.

今となっても,やはりカカトは潰さない.別にスリップオンが嫌いなわけじゃないし,サンダルもよく履いている.しかし,靴を履くならば,やはりカカトのホールド感は重要なのだ.いつでも動けるという安心感をそこから得ることができる.逆に息子がカカトを潰して靴を履いているのをみると,おまえはわかっていない,という気持ちで悲しくなる.

なにかあったときに足元が不安定で動けない,そんな怖い話があるだろうか.だから靴のフィーリングは大変重要である.ゴッチが20分間をかけて靴紐を結んだというのもよくわかる.細部をおろそかにしない人を私は信用する.

#やはり良い靴はカカトのホールド感が違うんだよなぁ...靴を収集する人の気持ちもわかるような気がする.


言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...