2009年8月24日月曜日

「返りの風」

「呪い」というのは,相手に効力を及ぼすには,
相手が「呪い」をかけられたことを
知らなければならないと思うのだけれど,
(相手は「呪い」がかけられたことを知ることによって
恐怖を感じて,その言動が束縛されるので)
それでは,相手がそれを知らなければ,
「呪い」には意味がないのだろうか.

私は,「呪い」をかけた人間にとって,
それはある意味,「癒し」の行為なのではないかと思う.
ある人間に対して「呪い」をかける.
そして偶然にもその呪いをかけられた人間が
不幸な目に遭う.
そのことによって,「呪い」をかけた人間は,
溜飲を下げるのである.
これによって,いくぶん癒されるといっても良いだろう.
「呪い」は,「癒し」の儀式でもあるのである.

しかし,「人を呪わば穴二つ」という言葉もある.
人を呪うのであれば,墓穴を二つ用意しろということ,
すなわち,呪った相手だけではなく,自分も
それ相応の不幸にあうという意味である.
これは,呪った相手が不幸に遭うことによって,
日頃の不満が少しは解消されるかもしれないけれど,
自分の良心の呵責に耐えきれず,
結局は自分も不幸になるという意味とも解釈できる.

昔,人に呪いをかけることを職業としていた
陰陽師や祈祷師は,「返りの風」が吹くことを
覚悟していたという.
いつか人にかけた呪いが己れの身に返ってくる.
それを心して術を施していたのである.

こうした「呪い」の儀式は,公に行われたとも
いわれているけれど(たとえば,ルーズベルト大統領を
国家の祈祷で呪い殺したとか),
現在の国難は,実はそのときの「返りの風」とか...

まぁ,いずれにしろ,人に対して
ネガティブな感情をもつことに
良い意味はなさそうである...

#しかし,暗い話題だなぁ...

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